我が物心つくより前、いや、我が生まれ落ちるよりずっと以前から、我らは迫害に遭ってきた。あの者たちは我らを迫害し、痛めつけ、時にはその命をも奪い去った。大人たちは我が子供だから、身を守る術を持たぬちっぽけな子供だからというただそれだけの理由で、身を挺して我を庇い、逃がそうとした。我が物心ついてから数えて幾度めかの折、ついには我が両親が犠牲となって我を逃がした。
そうして我は天涯孤独の身の上となった。
我がその森へと辿り着いた時、我の前に一人の年老いた幽霊(ゴースト)が現れた。彼が言うには、彼は神と人とのあいのこ(ハーフ)であり、彼の血をひく故に我と我が一族の者は力を持ち、迫害されているのだとのことだった。彼は天涯孤独にして唯一の子孫である我の後見となり、育てたいと申し出た。我に否やがあろう筈もない。彼の申し出を断ってしまえば、一体どうやって生きてゆけば良いのか。我を庇い、身代わりとなった者たちの為にものたれ死ぬことなど許されぬ。彼らのこと、彼らが一体どのような目にあったのか、また、彼らをそのような目にあわせた者たちのことを忘れることなど、できよう筈もない。
故に我は彼の申し出を受けた。生き延びる為、いつの日か、あの者たちを見返してやる為に。
――世界中で迫害されている我が同胞を、救いたいのです。
我がそう告げると、彼は目をみはった。それは生半なことではできない、と。無理もないことだろう。世界は広く、我一人にできることなどたかが知れているのだから。
――それでも、何か手はある筈です。例えば、あの者たちの手の届かぬ場所に無力な者たちを集め、教育するとか……
バサバサバサバサバサッ
その時、一羽の梟が飛んで来た。足には手紙らしき物が結えられている。
前略
世界中で迫害を受ける同胞の為、あの者たちの手の届かぬ場所に城を築き、同胞を其処へ集め教育を行ないたいと考えるがいかがなものか。もし賛同なさるなら、ご助力をお願いいたしたい。この提案、我が養い子のもの也。我ら幽霊(ゴースト)には実行力なき故、全ては養い子に任せるほかない。そこもとも養い子在りと聞き及ぶ故、よろしければご助力、ご協力頂けまいか切にお願いいたす所存也。
早々
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正直、驚いた。そして、歯噛みした。我の方が一足遅かったから。悔しかった。我の提案は昨日今日考えてなされたものでは決してなかった。だが、それでも行動が遅れた以上、我が出遅れてしまったことには変わりがない。
そして、我は彼を強敵(友)とした。
結局彼の呼び掛けにこたえ、集まったものは彼と我を含めて四人、皆、始祖たる幽霊(ゴースト)の養い子だった。我らはあの者たちの目と手の届かぬ北の辺境の地に城を築き、其処に同胞たちを呼び寄せた。
ガサガサッ
敷地内にある森の木陰で休んでいた時、不意に、頭上で物音が、した。此処は皆、滅多なことでは足を踏み入れることのない場所。我にとって誰にも邪魔されることなく休める希有な場所。なのに――
「きゃああああああ!!!!!」
大音声に顔を上げると、其処には彼女が、居た。大きな瞳を持つ小柄な少女が、今にも落ちそうな風情で枝に掴まっていたのだ。
「………………」
「た、助けてぇぇ〜〜」
後生大事に何を抱えているのか、そちらに片手を取られている為に枝にしっかりとしがみつくことさえ侭ならぬと見える。
「…………君は一体何をやってるんだ?」
「あのっ、こ、小鳥が怪我をしているようだったからっ!!!」
よく見ると、片手に抱えているのは傷ついた小鳥。握り締めるわけにはいかず、かといってそのままでは力を込めてしがみつくこともできず。せっかく力があるのだから自分で其処まで行かずに力を使えば良いものを……
――Wingardium Leviosa
「きゃっ!!?」
突如としてふわりと浮きあがった己の身体に、彼女は戸惑う。当然と言えば当然だがその程度のこと自身ででもできように――。
「大丈夫。落ちやしないからその手を放すと良い。たとえ落ちるようなことになっても我が受け止めよう」
半ば恐慌(パニック)を起こしかけている彼女を宥める為、言葉を紡ぐ。対象にもがかれては、かかる魔法もかからなくなってしまう。
「我を、信じよ」
その瞳を見つめて紡いだ言葉。それは一種の暗示とも言える。彼女に対して? 否、それは、我自身にとっても――。
小鳥に傷を癒し、もうこんな怪我はしないようにと言って放してやった後、彼女は我の跡をついて歩くようになった。
「あ、私もご一緒します〜〜vv」
廊下を歩いていると、パタパタという足音と共に背後から声がかけられた。
「…………廊下を走るな」
言っても無駄かと思いつつ一応は咎める。背丈が異なる以上、必然的に脚の長さも異なるのだ。追いつこうとすれば走らざるをえまい。
「ご、ごめんなさい、お待たせしてしまって……」
「別に。大したことではない」
そう言って歩き始めると彼女はにっこりと笑って横に並んだ。普通に歩いてはまた彼女を走らせることになる、か……。
「?」
不意に、彼女が不思議そうな表情で我を見上げた。
「何か?」
「あ、いえ……」
走ってやっと追いついたのだ。横に普通に並んで歩いていれば誰でも妙だと思おう。思わんのはあの提案者の男くらいだ。いや、奴の場合、歩調を合わそうという発想自体持たんだろうが。
「あの、どうかなさいました?」
「は?」
「眉間、皺寄ってますけど……やっぱり私、ご迷惑でしたっでしょうか……」
「…………」
どうやら奴のことを考えていた為に表情が険しくなってしまっていたらしい。
「気にするな。少々思い出してしまったことがあっただけだ」
怪訝そうな顔をされたが事細かに語る気になどなれない。この我が誰かに一度たりとも負けたなどと、そのようなことを語るなど冗談ではない。何故だろう、彼女には特に知られたくはない。いや、知られたいのか? 分からない。我は一体どうしたいのだ?
「あの……ひょっとして、疲れてらっしゃるのでは?」
「………………いや? そんなことはないと思うが?」
「そんなことありますってば!! だって最近、睡眠時間だって削ってらっしゃるんでしょう!!?」
彼女は我の腕を掴み、ぐいぐいと引っ張っていった。場所は、先日彼女が木の上で動けなくなっていたあたり。
「おい! 一体何を!?」
先日の木の元で彼女はぴたりと立ち止まった。どうするのかと思ったら――
「!!?」
彼女は我の頭を抱え込むようにして木にもたれて座り込んだらしい。気がつくと我の頭は彼女の膝の上にあり、我は仰向けに転がっていたのだ。
「寝て下さい! 睡眠時間削ってたら今に身体を壊してしまいます!!」
必死になって言い募る彼女の顔を見ていると、何故かほっとして――
我は、彼女と共に居ることに安らぎを、覚えるように、なった。
「くだらん。全く、何を言い出すかと思えば……」
「くだらなくなんてないだろ!? 必要なことだ!! そっちこそ一体何を拘ってるんだ!!?」
燃え立つような赤髪の青年が声を荒げた。最近、奴と意見が食い違う。いや、むしろこの件に対して、と言うべきかもしれない。
「無理だよ、俺たちと血を同じくする者たちのみだなんて……彼らにだって素質はあるんだ。受け入れてやるべきだよ」
我と我が同胞を傷つけ、迫害し、時には死ぬよりも尚辛い目にあわせたあの者たちの同族を受け入れろだと!!? 冗談ではない!!
「素質というならあの者たちの同族にはあの者たちのようになりうる素質もあるわけだ。そのような者たちに力を与えろというのか?」
「あ〜もう……お前ってばなんでそんなに否定的な方向にしか考えらんないわけ? もうちょっと光にだって目を向けろよ!!」
「貴様こそ何故あの者たちを受け入れようなどという残酷な言葉を平気で吐けるのだ!!? 我らが生き延びる為に何があったか、どれだけの同族の犠牲の元に生き延びたか、貴様は忘れたというのか!!?」
我は、忘れぬ。今なら何故大人たちが我を逃がそうとしたかが分かる故。彼らは、我が内に眠る素質故、我を逃がそうとした。我は彼らにとっての希望だったのだ。ならば我は、我を守らんとした彼らが為、彼らの希望に応えねばならぬ。それこそが我が存在意義。奴の提案を受け入れられよう筈もないのだ。
不意に、奴が言葉を紡いだ。
「違うよ、お前はただ、変わってゆくのが恐ろしいだけだ」
「――――――――――――――――――――っっ!!?」
何たる暴言!! 何たる屈辱!!! この我が変化を恐れる、だと!!?
「………………たとえ、貴様だとしてもその暴言は許さぬぞ!!!!!」
この日を境に、我と奴の間の溝は決定的なものと、なった。
「どうして!? 皆で仲良く幸せに暮らすことはもうできないの!!?」
小柄な少女がその大きな瞳に涙を溜めて言い募る。
「ありえん。もはや相容れることはなかろう」
我の言葉に、少女は泣き出してしまった。こうなっては聖域のようだったこの木陰ももはや安らげる場所ではない、な。
「…………泣くな。後で我が罵倒される」
我や奴、そして彼女と同じく始祖たる幽霊(ゴースト)の養い子である女性は、彼女を実の妹であるかの如く愛し、また、彼女もその女性を慕っていた。その女性はただでさえ我と彼女が共に居ることを警戒し、案じていたらしく、これまでにも幾度となく牽制されてきたのだ。尤も、我は彼女をどうこうするのではなく、だた共にあるのが心地良かっただけだったのだが――。
「それって……姉さまのこと、ですか?」
「そうだ。ちょっとしたことですぐに罵倒される」
仏頂面でそう返すと、彼女はくすくすと笑った。
「やっと、笑ったな。やはり君は笑っているほうが良い」
ほっとして表情をゆるめると、彼女はその大きな瞳を更に大きくみはって、恥じらうように微笑んだ。
「…………我の顔は普段そんなにも厳しいのか?」
「え!? あ、はい、いえ、あの…………」
さすがに少々憮然としてしまったら彼女を慌てさせてしまった。その慌てぶりがまた可笑しくて、今度はうっかり吹き出してしまう。
「あ、酷い、からかったんですね、まったくもうっ!!」
ぷっくりと頬を膨らませて拗ねる様がまた微笑ましいがさすがにこれ以上笑っては失礼にも程があろう。だが、どちらにしろ久々に哀しんでいるのではない彼女の姿が見られることは喜びだ。最近は我の為に哀しませてばかりであった故……。
「そのようなことよりも。君は彼女のことを『姉さま』と呼んでいるのか? 確か血の繋がりはなかった筈だが……」
「え? あ、ええ……それはそうなんですけど……そうお呼びしても良いですかとお聞きしたら快く承諾して下さいましたし……生徒たちにも笑われてしまったのですけれど……」
その生徒たちが笑ったのは単に微笑ましかっただけだろうと思うがな……まあ良いか。別に生徒たちと上手くいっていないという話も聞かんし。
「本当に、仲が良いんだな。大したものだ」
「へ??」
「己を卑下することはないさ。君は人の心を和ませる才能がある。いや、才能というよりは素質、かな? 君がいればそれだけで場が華やぐし、人々の心は穏やかになる。皆、君と居ると春の日差しの中に居るような、そんな居心地の良さを感じるんだ。――――第一、そうでなければ我が今君と此処に居る筈がなかろう?」
そして、我ら始祖の養い子たちが協力してこれた筈も、ない。
「そんな……私、そんなこと……」
「君は、希有な存在だよ。君と出会えたことを、我は誇りに思う。あいにくと道は別れてしまうだろうが、君は光の路を行きたまえ」
「――――っっ!!!」
時が、止まる。小柄な少女は再びその大きな目を更に大きく見開き、そこに、見る見る涙が溜まってゆく。
「さらばだ、春をまといし乙女よ」
「もう、話し合う余地もないと!!?」
立ち上がり、去ってゆく背中ごしにかけられた、彼女の涙ながらの、声。だが我は振り返らなかった。泣き崩れたのが気配で分かる。だがもはやかけてやれる言葉など、我は持たぬ。振り返ることなどどうしてできよう?
そして。
そして我は城を、そして同胞の元を、去った。彼らが受け入れようとしているあの者たちの血をひく者たちの為、一つの秘密の部屋を残して。いつか、いつの日か、あの部屋が開かれた時、彼らはあの者たちを受け入れたことを後悔するだろう。あの者たちは、我らと関わったことを後悔するだろう。
それでもなお、我は守りたかった。
はにかんだ笑みも、柔らかな微笑みも、憂いの全てを洗い流してくれるかのようだった。
守りたい、と切実にそう思う、誰より大切な我の聖域。
最後の希望。
最後の――
我が女神よ―――― |